Safe Place OPEN STAR Written by Natsumi

毒親というか、母は毒なり。

FAMILY

毒という漢字に、すでに母の影が見えてしまい、ドキッとしたところから今日のブログを書きたいと思います。

毒と薬は同じというように、母は薬にも毒にもなるわけです。

猫もさまざまな理由から子猫を食べることがあるようです。

猫と人間を同じに扱ってはいけないのですが、

愛しているはずの子どもを支配してしまう母というのが存在するのも事実です。

私が母に言われた行動や、言葉の中で、ずしっと重石になっていることがあります。

そのどれもがわたしが、「女として成長」する部分に関すること。

幼児の頃からピンクでヒラヒラの洋服は着せてもらえませんでした。

生理が来た時、明らかに母の表情が曇り、鬱々とした雰囲気になりました。

なぜ、こんなにくらーい雰囲気で、赤飯を食べないといけないのか?

赤飯を炊くという行為はしてくれたのですが、母が喜んでいないことはわかりました。

また、ブラジャーを買ってくれなかったことも、辛かった。

高校生になっても、ワイヤー入りは絶対にダメ。

スポーツブラなら買ってくれました。

どうしてダメなのかは、教えてくれませんでした。

誰かに見せようとしたわけではないんですよ。可愛いのが欲しい。ただそれだけだったのですが、絶対にノーだったのを覚えています。

弟のマウンテンバイクに乗らせてもらった時のこと。高校を卒業した直後だったように思います。

仲良くしていた先輩がいたことは確かですが、性的なことは未体験の状況でした。

マウンテンバイクって、サドルが硬いんですよね。「お尻が痛い!すっごい乗りにくい!」

と発言したら、

「違うことに、使ってるんじゃないの?」

と吐き捨てるように言われました。

「違うことに、使う?」

どういうこと?

そここら5分は考えたように思います。

性行為未体験であまり知識がなかったので、よくわからなかったのですが、母は、私がそういう行為をしてるのではと疑っていて、

それを、マウンテンバイクに乗った私に向かって、発言したようです。

ものすごくドス黒いくらい気持ちが私の中に生まれました。

高校の時も、女らしい雰囲気を出すと、母の機嫌が激しく悪くなるので、

スポーツ少女の仮面を被り、

制服がなく自由な高校だったので、ジャージを着て登校していました。

「他のことに使ってるんじゃないの?」

この発言を期にますます家を出ないと、まともに生きていけないという思いを強くしたように思います。

どうしてかは、わかりません。

母は、ずっと、私にかわいい子どものままでいて欲しいと思っていました。

特に女になってほしくなかった。

娘に嫉妬心を抱く母がいると言います。

ライバルにしてしまったり、自分が満たされなかったのに、

分身であるはずの娘が幸せになるのは許せないと、娘の幸せの邪魔をしたりする。

そんな毒母がいるのです。

私は、生きていくために、この母から離れなければいけませんでした。

母に殺意を抱くようになりました。

家にいるとパニックになって

過呼吸を起こした時に、

生き抜くためにどんな方法であっても

母から距離を置かなければならないと思いました。

そこからは、どん底生活が始まるのですが、

15年くらい経ったときに、

家を出る選択が正しかったことが認められるような出来事が起こります。

家から出るなんて!

家族には気が狂ったとレッテルを貼られてしまいました。

そのラベルは今も取られていないのかもしれないけど、

現在、夫と娘がいる私は、

私のイメージする女、女性としての幸せを得ることができています。

人によって女としての幸せの価値観は違うと思うので、結婚や子育てができること=女の幸せということではないと思います。

これは、私にとっての幸せの形の話。

その幸せを得るためには、母からの脱出が絶対に必要でした。

世間では、家出少女に冷たいかもしれません。

家族や親を悪くいうことを、否定する人もいるかもしれません。

けれど、場合によっては、普通と違うことをしなければならない時があります。

普通というものを、手にするために。

仕方ないんです。

生まれた場所が、普通ではなく異常な世界なのだから。

大丈夫。必ず、乗り越えることができます。

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