毒親育ちでも、良い親になれる
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目次
親を客観視する
今、あなたの心が悲鳴をあげているなら、
まずすべきは治療です。
それができた上で、
自分の親を理解していくことで、
負の連鎖を止めることができます。
文字通り、反面教師にするのです。
親を理解することで、
客観視できるようになります。
毒親は、子どもに罪悪感を感じさせることが上手い。
ですから、全てのことを「自分のせいなのではないか。」
と感じやすい状態に陥りまあす。
そこから、親を客観的に理解することで、
- 親にも事情があった
- 対人関係でトラブルが多いのは、自分のせいではなく、環境の影響だった
- 親の問題は、親のもの。私には責任はない。
これらを腑に落ちるところまで、実感できるようになってきます。
そんな親に期待していることがある
親に対して、
「こうあるべき」
という考えを持っていないでしょうか。
「親なんだから、〇〇ができて当たり前。」
そういう思いを持つことは当然のこと。
ですが、残念ながら、お友達の親ができることが、
あなたの親にはできません。
「こんな当たり前のこと。」
それができない親がいるのが現実です。
あなたの心の中に、親に対する「役割の期待」がありませんか?
毒親である親は、子どもにある役割を期待しています。
「自分の気分を良くしてくれること」
「期待通りに学校で評価されること」
等、あるがままではなく、期待する姿を押し付けています。
子どもの方も、
親って本当はこんなんじゃないという気づきから、
「レールに乗せようとするのではなく、やりたいことを応援するのが親だ」
「温かい言葉をかけるのが親の役割だ」
これは、親も、子どもの方も相手のできないことを
要求している、期待しているという状況です。
これでは、ズレが生じ、やりとりに歪みがきます。
そこから、暴力に発展することもあるでしょう。
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毒親にはどうしてもできないことがある
毒親には、
どうしてもできないことがあります。
真っ当に愛情を注げないのです。
その背景は、
「自分が普通の愛情をもらっていないからやり方がわからない。」
「発達障害の傾向があり、人の気持ちが理解しずらかったり
予測する力や、想像する力が弱い。」
「精神疾患を抱えていて、愛情を実感することができない。」
このように様々です。
事情を抱える親に対して、
具体的に、現実的に
「やってほしいこと」
「やらないでほしいこと」
を考えて明確にし、手紙でもメールでも良いので、
できる方法を利用して、はっきりと伝えます。
親の毒性が強ければ距離を置こう
明確に伝えても、
親の方は、自分が正しいと思い込んでいることが多いでしょう。
子どもが長年苦しんできているのに、
なんとか苦しみながらも、子どもが自分の気持ちを表現し出したというのに、
親の方は、寝耳に水だという反応をすることがあります。
そして、
「自分はどれだけあなたのためにやってきたのか。」
「そんなことを言い出す、お前は間違っている。」
パニックになったり、
倒れたりすることもあると思います。
私の場合は、頭痛で倒れ、救急車で運ばれる事態になりました。
ですから、はっきり伝えたことで
より事態が悪化し、
家の中で、とても息苦しさを感じながら、生活していたことで、
私の方が、過呼吸を起こすようになりました。
けれど、親は半狂乱になって話にならないので、
家を出る選択を取るしかありませんでした。
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全てのことが自分の責任でなかったと知ることで心の平穏を取り戻す
親と子の関係、
対人関係、
親を裏切った私。
全てのことに、
自分の責任ではなかったと
潜在意識、心の底から思えるようになった時、
考えられないほど楽しく楽に、人生を生きられるようになります。
「親がおかしくなったのは、親が悪いのは、自分のせいだ」と
思い続けていると、自分が親になった時の
子育てに影響が出てしまいます。
けれど、
「親には事情があって、どうしてもちゃんと愛することができなかった。
だから、私は悪くなかった。」
と親の問題と、自分の問題を分離して捉えることができるようになっていれば、
自分が親になった時に、
子どもに、自分が受け取ったような歪な愛し方をしなくなります。
それどころは、痛みがわかっているので、
とても療育的に、愛情深く子育てをすることができます。
このような形で、
自分の子どもを、無条件に愛することで、
自分が満たされていくのを感じることでしょう。
無条件に愛される願いというのは、無条件に愛すことでも満たされていきます。
とても、大変な人生を送ってきた、
毒親育ちの人は、
先に、負を経験していると捉えましょう。
その分の、正を今から必ず受け取ることができます。
悲しみと同じかそれ以上の喜びを得られるとしたら、
最初に問題のない家族で育った人よりも、ものすごく
幸せになれるということ。
幸せは、比較するものではありませんが、
あなたも、苦労した分の幸せを、これからたくさん手にすることができると
知ってもらいたいと思っています。