私が幸せになることは先祖の癒し

私の家族には、軽度発達障害が何人かと、実際に手帳を所有している者が複数人います。

だから大変だったか、というとそこまでの自覚はありませんでした。

そういった混沌とした、確信を得られないコミュニケーションしか取れないことが、当たり前だったし、今の自分の生活にそこまで影響があると思えていませんでした。

「分かり合えないコミュニケーションは、疲れるから距離を置こっかな。めんどくさいし。」

と、疎遠になっていたのは事実。

実は、子供の頃から分かってもらえない寂しさを、固い石のように飲み込んでいることに気がつきました。

「ああ、そうか。

寂しかったんだな。

わかって欲しかったんだな。

分かってもらいたかったんだな。」

自分の気持ちを見つめる機会があり、思ったよりも辛かったんだと認めることができました。

みんなみんな、大変な思いをしているのだろうけど、

うちの背景を少しまとめてみたいと思います。

  • 父方祖父 家出して実家の名を継がず、縁を切る。アルコール依存。
  • 父方祖母 連れ子再婚 色々あったそうだけど、詳細不明
  • 父方長男 おばあちゃんの連れ子(長男つまり私の父の兄) 家出。絶縁
  • 母方祖父 父親から暴力を受ける。父親は酔ったまま川に落ちて死亡。体に障害がある母親と寺の軒下で生活
  • 母方祖母 地主の長女 母親が四年生で過労死 継母との生活が嫌で家出 女中になる
  • 父親 アルコール依存の親に育てられる
  • 母親 軽度発達障害 仕事ばかりの両親の代わりに妹2人の面倒を見ながら過ごす

私の祖父母は戦争の記憶がある世代。どこの家庭も多かれ少なかれこういった事情があるでしょう。

繰り返しになりますが、不幸自慢をしたいわけではありません。

客観的に振り返ってみると、とっても幸せで満足感をもった子ども時代を過ごせている大人が、どこにも見当たらない家庭であったのだなと思います。

機能不全家族は、連鎖をするといいます。

まさにその通りで、私の両親は、無条件に愛されて、幸福だね、安心していいよという愛情の注ぎた方が分からなかった。

そこに、軽度発達障害の要素も加わるから、人の気持ちを理解することが、どうしても難しい。

だから、私は愛されていないと思って生きてきたのだけど、

小学校教員として子どもたちと向き合った経験や、オーラソーマというセラピーを学んだこと、心理学に関する著書をたくさん読んだこと、コネクション・プラクティスというコミュニケーションスキルを学んだことを学んだことで

素直な愛し方、愛され方をができるようになりました。

すると、私の先祖が喜んでいる感覚になりました。

おそらく何世代も、私の先祖は

真っ直ぐに愛し、愛されることが苦手だったのでしょう。

私が幸せになることで、先祖が笑顔で喜んでくれている気がしています。

お墓参りに行くことだけが、先祖供養ではない。

たくさんの命が繋がった先にわたしがいます。

その、わたしが幸せになることが、先祖の願いで、喜びです。

みんなみんな、幸せになっていい。

生きる価値がない人なんていません。

自分の幸せを願う人がどこにもいないなんて嘘。

たくさんの命が、

わたしやあなたの心からの笑顔や幸せを、願っています。

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