心の穴を埋めるためにする恋愛は修羅場と化す

思えば小学生の頃から、私の報われない愛のパターンは出来上がっていた気がします。

それは、お世話した相手を、好きなのかな?と感じ始めるパターン。

小学生の頃、しっかり者と担任から思われることが多かった私の周りには、忘れ物が多かったり、片付けや支度に時間がかかったり、勉強に手助けが多い子が、隣の席や後ろの席に配置されることが多くありました。

毎日一生懸命、手助けしていると、その子に対して恋愛感情があるのではないか?という感覚がやってくることがありました。

世話をした労力の分、見返りが欲しかったのかもしれないし、

自分の頑張りが、何らかの形で認められてほしいという思いからだったように思います。

いくつか報われない恋愛を経験しているのですが、

その一つには、世話をする、ケアする=恋愛と感じるパターンがありました。

この錯覚のような感覚の恋愛パターンは、大人になっても続いていて、

相手を助けることで、自分の力が証明されるのではという思いや

この人を支えて変えることができれば、自分の価値が認められる

他の人にはできなくても私にだったらこの人を変えられるはずという、支配欲

に発展していきました。

そのような、歪んだ恋愛の形を求める根っこには何があるのか。

掘り下げていくと、

やはり母との関係性の影響が大きいように感じます。

母の私への愛情の形に

私(母)が全力で娘にエネルギーを注いだのだから、娘(翠玻)は、その分期待通りに育ってほしい

という思いがありました。

母は意識的に支配しようと考えていたかというと、違うと思うのですが、

支配すること(されること)=愛 

だと私は学習していきました。

本当は、あるがままの私を愛してくれる人が欲しい。

ダメでも、頑張らなくても、優秀でなくても、いい子でなくても

愛されたい。

これが私の願いです。

これが欲しくて欲しくて、たまらなくて、何をしてでも愛を掴みたくて、

底なしブラックホールのような寂しさや所在なさを常に感じながら

大人になりました。

それなのに、学んでいるのは条件付きの愛し方のみ。

「いい子じゃなくても、頑張らなくても好きって言ってー」

と心の底では相手に求めながら、

私の愛し方は、

「あなたがいい子になるために、改心できるように手伝ってあげるね。だから見返りちょうだい!」

というもの。

こんなの、ちゃんと愛されるわけないんです。

そして、私のブラックホールはさらに大きくなっていくし、

相手は変わることを常に要求される者だから、

支配されている不快感から逃れるために、バイオレンスになっていく。。。。

ある時期のお付き合いでは、

相手から殴られる、蹴られる、包丁を向けられるという修羅場を経験。

相手が蹴ってきた時に、足をつかんでひっくり返し、その表紙に彼が頭を壁に打ちつけて、

軽い脳震盪になったことも。

その隙に、外へ逃げ出し、ガソリンスタンドに逃げ込んで、助けてもらったことがあります。

この状態から、どうやって別れたのか、距離を置くことができるようになったのか、

はっきりとした記憶がありません。

その当時、私にとって仕事がとても大事なものだったから、

彼とのお付き合いによって、仕事に穴を開けそうになった時、別れる覚悟を決めました。

彼よりも、仕事の方が大事だった。

それに、頑張らない彼、真っ当ではない彼を好きだったかというと、

違う気がしています。

仲間内から、注目を浴びていた彼と仲良くなれれば、

仲間から、私も同じように大事にされるのではないか。

仲間と認めてもらえるのではないか。

今までの彼女を殴る蹴るという関係しか作れなかった彼が、

私と付き合うことで、暴力がなくなったとなれば

私がすごいと認めてもらえるのではないか。

そういった、ものすごい支配的な思いから、彼との距離を縮めていった私。

その原動力は、

無条件に愛されたい、

大事にされたい

寂しさを消し去りたい

そういう小さな頃からの愛を求める底なし沼的愛情不足。

心の穴を埋めるためにする恋愛は修羅場と化す

↑これ、リアルです。体験済みです。

ここまでどん底を経験すると、

「自分のこと、好きになれないけど、

幸せな生活を諦めてきたけど、

もう自分を罰するようなことは、やめてみようかな。」

そんな思いが湧いてきたのを覚えています。

そこからは、いい子にならなくても、

一緒にいて楽しいと思える人と出会う。

この人とだったら、自分の子どもを楽しく育てていけると確信できる人とお付き合いをする。

こういったことを目標にしていきました。

相手に尽くすことに疲れた方、

バイオレンスな関係を続けていて卒業したい方。

違う世界に引っ越すことはできます。

今も、寂しかった頃の私の声が、聞こえてくることはあります。

小さな頃の出来事を思い出させるような現象が起こった時、

底なしの寂しさを思い出してしまう瞬間があります。

「幸せになっていいんだよ。」

そんな声をかけることで、新しい生き方を続けることができる気がしています。

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