毒親の親も毒親。そのまた親も毒親。それでも毒の連鎖は止められる

最初のステップ 想いを吐き出す(心の中だけで)

親のことを、毒親と呼ぶことに、抵抗もあります。

この用語は、とてもわかりやすいので、使用することもあります。

「毒」と言っても、娘にとって「毒」なだけで、

母親が、「毒」を飲ませようと自覚しているかというと、そうでないことが多いでしょう。

昨日のブログで書きましたが、

「これは毒なんだ!愛ではないんだ!」

と認める段階は必要です。

親のすることを、ただ受け入れていた段階から、少し進んで、

疑問をもったり、反抗したり

おかしいと抵抗したりする段階になっているからこそ、

親の非を責めることができます。

少し、自分の置かれている立場や親子関係について

客観的に考えられるようになってきているとも言えます。

けれど、母が毒親で、最低でろくでもなくて、あいつが親でなければ

自分はもっと幸せなんだ!

と罵り続けることは、心穏やかな状態ではないし、

幸福な感覚と、程遠い状態であるといえます。

ですから、罵りたい気持ちが溢れてきて、うまくコントロールできない状態であるなら、

距離を置く、離れてみるという選択肢を取るのも一つだと思います。

理由としは、親のおかしい点をいくら指摘しても、

親はそのコミュニケーションの方法しか知らないケースが多いからです。

愛することが、相手を罰することや、攻撃する手段と結びついていることがあります。

ふたつめのステップ 自己共感の時間をとる

機能不全家族で過ごしてきた場合、

精神的にダメージをたっぷりと受けていることと思います。

鬱症状、自傷行為、摂食障害、パニック障害その他、色々な症状が出ている可能性があります。

専門家に頼ることも、必要です。

まずはたっぷりと養成し、治療にあたる必要があるでしょう。

その時に、今まで溜め込んできた感情を出していきます。

特に、涙はたくさん流すといい。

浄化の涙です。

泣けなかった涙をひたすら流すというのもとても、大切なことです。

ステップ3 親の背景をたどってみる

私の場合は、

どうして、母はこのような育て方しか、できなかったのだろう。ということを想像したことで、

親と自分の関係を客観的に捉えられるようになってきました。

親の話すエピソードで、覚えていることをあげてみます。

  • 小学校の時の学芸会で、「いなばのしろうさぎ」主役に選ばれた。担任に、「母の家は、白いセーターを用意できないだろうから、主役はさせられない」と言われ、主役ができなかったと話していたこと。
  • 小学生の頃、よく遊んでいた友達の中に、朝鮮人のお兄ちゃんがいた。日本人でないことでいじめられているのを見て、その相手に殴りかかった。
  • 親がいつも仕事でいなかったから、寂しいと言ってなく妹を慰めながら一緒に眠っていた。
  • 中学の時の転校で、親が手続きに来てくれなかったから、前の学校の教科書類を全部持って、一人で手続きをした。
  • 高校卒業後、看護婦になりたいと思ったが、父親が当時、看護婦は米軍相手に体を売る商売をする人もいたというイメージを持っており、反対したことで、看護婦になれなかった。

等々、まだまだあるのですが、このような話を聞いていました。

風呂なしの物件でとても貧しい暮らしをしていたことは、繰り返し聞かされていました。

そこから、物質の豊かさが愛情を与えることだと母は認識するようになったと考えられます。

相手が自分より年上の男の子にも、殴りかかるようなカッとするところが昔からあったと思い出し、性格のベースに発達障害の傾向があることを、考えるようになりました。

とてもお金のないところから、会社を立ち上げた母の両親には、子供が三人いたのですが、子育てはおばあちゃんに任せ、とにかく働き詰めていたようです。

中学の転校手続きを一人で行うというのは、現在では考えられませんが、当時はそれが許されたようで、ネグレクトといっても良いくらい、放っとかれて育っています。

愛着の問題を抱えていることも考えられます。

看護師という夢は、母の父親が交通事故に遭っていて、その影響で何度も入院を繰り返したのを見ていたことから、そこで関わった看護師さんに憧れを抱いたようです。

看護師の夢を持つきっかけとなった、父親の猛反対で、看護師になる夢を追えなかった母。喪失感や、絶望など色々な思いをその当時にしていたのではないかと考えられます。

ネグレクトとも言えるくらいの子育てをした祖母は、どんな人生だったのかというと、

  • 地主の子
  • 五人兄妹の長子で長女。
  • 母親が4年生の時に過労死
  • 継母が来る
  • 継母と父親との間に子供が二人できる
  • 家が全焼
  • 継母と離れたくて気の進まない縁談を受ける
  • どうしても相手が好きになれず離婚
  • 当時、離婚は田舎の中でとても恥ずかしいことだとされていたのもあり、上京して女中になる
  • 住み込みの女中を続け、さまざまないじめを受ける
  • そこで働いていた、交通事故で片足が不自由な祖父と出会い、助けてあげようという気持ちで再婚
  • 結婚に失敗しているこんな自分と結婚してくれて、感謝しかないという思いでいる

私の母の母、おばあちゃんは、とても顕著の愛着障害の症状が出ている人です。

大好きだったお母さんと死別したことがとても心に残っているよう。

あることがきっかけで、八十を超えた祖母が赤ちゃん返りをして

「嫌だよう、ひどいよう」

と泣き喚くのを見てしまったことがあります。

自分を可哀想だというポジションにおいて、周りの人を悪くいうので、

おばあちゃんの娘である、私の母とその二人の妹の関係はとても悪いです。

おばあちゃんから、母の素行の悪さをたっぷりと聞かされた、妹二人は

姉のことをとても悪く認識しています。

今も母と祖母は同居をしています。

二人は、互いを悪く言いながらも、離れられないようです。

私も、祖母から母の悪い行い、困った行動やひどい言動に対する愚痴をたくさん聞かされていたので、

自分の母親に嫌悪感を必要以上に持っていた時期があります。

「おばあちゃんは可哀想。お母さんはひどい。」

けれど、母親との愛着形成が大切な時期に、母親の悪口を聞かされ続けることは

子供の心の発達に良い影響を与えませんでした。

ステップ4 心の寂しさを改めて認識する

この1から3のステップを、私は何度も何度も繰り返してきました。

時には、セラピストの力も借りました。

自分でセラピーを学んだり、心理学の本もたくさん読んだりしました。

それは、自分の生きにくさを理解して、

幸せに生きられるようになりたいから。

私は子どもを産み、育てたいという願いがありました。

それを実現するには、この代々つながる毒親の連鎖を断ち切る必要があります。

私は、絶対に毒親になりたくありませんでした。

娘が、思春期になった時、毒親だといってくる可能性もあります。

親が毒親かどうか決めるのは、子どもです。

少なくとも、できる努力は指定と思いました。

機能不全家族ではなく、機能健全家族をどうしても作りたい。

そのためには、

母や祖母を責めても仕方がありません。

母や祖母も、大変な思いをしながら生きている。

それは理解することができます。

母も祖母も、父の祖父も、健全な愛し方を知らなかった。

愛し方が分からない=私を愛していない ということではありません。

親に、私の愛のカップを満たす力はありませんでした。

そうであるなら、自分で自分を愛し、愛されたい空っぽのカップを、満たしていくしか

術がありません。

誰かに満たされるのではなく、自分で満たす。

誰かに愛をもらおうとして繋がる相手とは、奪い合う愛になり、修羅場になっていきます。

それについては、心の穴を埋めるためにる恋愛は修羅場と化すというブログで詳しく説明しています。

これは、私が学んだコネクション・プラクティスの先生から聞いたことです。

愛されたいという願いは、自分が愛すことでも満たされます。

大事にされたいという願いは、自分が大事にすることでも満たされます。

理解されたいという願いは、自分が理解することでも満たされます。

大切にされたいという願いは、自分が大切にすることでも満たされます。

私は、10年以上、小学校教員をしてきました。

たくさんの子どもたちに、寂しかった自分を投影していたように思います。

だから、全ての子に、手を抜いて接することはできませんでした。

あの子は、あの時の私。

あの子も、あの時の私。

私にできる限界以上の力で、子どもたちを大切にし、大事にし、理解しようとし、愛してきました。

すると、空っぽだった愛のカップが満たされ、

機能健全家族を形成する基盤を作ることができました。

私は、子どもたちに救われたのだと思います。

とても寂しい心を抱えているのなら、

愛を与えられる対象を作り、過ごしていくこともおすすめです。

ペットの力を借りるのも良いと思います。

温かな愛情をもらえなかった人も、

いつの間にか、愛するってこういうことなんだと

健全なやり方を、知ることができます。

時間はかかります。

でも、自分の力で、たくさんの人の力を借りながら、

愛されたいという空っぽのカップを満たすことができます。

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