親を毒親だと認識するのは思春期から

毒親だと気付くのが思春期である理由

小学校で働いていたこともあるので、子供の様子を見ているとわかるのですが、

やはり、中学年までは親や家庭環境に順応しようとする

子どもの健気さを感じることができます。

ですが、中学年にもなると、

他のお家と自分のお家を比較するようにもなります。

徐々に、「自分のお家って変なのかな。」

と気づくきっかけが増えていくでしょう。

赤ちゃんはもちろん、

幼児期、10歳くらいまでの間は、

親が絶対的な存在。

親を求め、一生懸命受け入れようとします。

その環境が当たり前なので、

疑問に思うこともありません。

どの子にとっても、「自分の家=普通」であるということです。

脳の発達、心の発達とともに、

視野も広くなり、親を客観的に見ることができるようになります。

思春期は比較の時期。

見た目を気にするというのは、

他者と自分の違いに気づくから。

その時期に、自分の育った環境や、家族に対しても

客観的に捉えて、出会った外の世界の価値観と

比較して考えられるようになります。

ここで、

「我慢したり、感情を抑えたり、要求に応え続けなければならなかったりする親子関係は、普通ではない。」

と考え出すようになります。

思春期の頃は、言葉で自分のことを表現することが未熟であることが多いです。

親に反発心が芽生えた時、

今まで適応しようと努力し続けてきた分

「親のせいだ!!!」

と気づいた時の爆発的な怒りは相当なもの。

私も、家中の壁や窓ガラスなど簡単に壊せるのではないかというくらいの

エネルギーを自分の中に感じていました。

親が毒親だと知ってしまった子どもの様子

①非行に走る

選択肢の一つは非行に走るということ。

親や家族から非行に走って距離を取ることで、心のバランスを保つ子どももいるでしょう。

中には、身の危険から逃れるために、非行に走るケースもあります。

この場合は、逃げた非行先でトラブルに巻き込まれることもあるので、

いずれにしても心の安全は保たれないでしょう。

それでも、家にいるよりはましだということです。

②不登校など、心の問題が表面化し始める

親の支配力が強い場合や、とても繊細で優しい子どもである場合、

親に反抗することができずに、過ごすケースも多いです。

全く反抗期がないということもあります。

家の中だけでなく、

思春期の時期は、外の世界にも様々な問題が生じやすいです。

いじめ・学級崩壊・親友との仲違い・教師との関係

本人にとって、対処しきれない出来事に遭遇した時に、

誰にも相談できず、自分で抱え込んでしまうこともあります。

結果的に、不登校などになり、

親に叱責されたり、自分で自分を責めたりして

もともと愛着形成が不安定な状態がさらに悪化し、

自己肯定感はさらに下がります。

③私の場合

中学時代から、親の支配に気付きましたが、

そのまま親の要求する自分を演じ続けました。

親の期待に応えることでしか、生きられないと思い込んでいました。

高校3年間と浪人時代もそのままピエロ状態でしたが、

入る大学を自分の意思で決めることができないと悟った時期から

いよいよ精神的に崩壊し、

大学に登校できないという

遅い不登校に陥りました。

大学生の時に、自分の好きな色も決められない、分からない自分に気づき、

パニックに陥ります。

そこで、大学の寮生を募集するというチラシを目にし、

藁にもすがる思いで、募集しました。

もう親が反対するとか、そういうことは分かっていても、

行動せざるを得ませんでした。

どうしても、一人の時間が必要だったんです。

運の悪いことに、

そこの寮では、部屋の機密性やプライバシーは皆無。

先に住んでいた先輩から、

呼び出され、声をかけられ続けることが、

苦痛を超えて、恐怖でしかありませんでした。

その流れで、バイト先の友達と知り合いになり、

そこに転がり込むようになりました。

常識的な子だったので、

私が親から教わっていないこと、

一般的な常識を

教えてもらいました。

そこで、こんなにも私はみんなが知っていることを知らないんだということに気づいて、

驚いたと同時に、

自分を情けなく思ったのと、

親に対する怒りをさらに募らせました。

当時、私は電子レンジでカレーを温めるということもできませんでした。

洗濯機の扱い方も教えてもらいました。

母は、私が自立することにつながる情報を与えませんでした。

お手伝いは、禁止。

お手伝いをさせられすぎて辛かった人もいるかもしれませんが、

私の場合は、

溺愛は受けましたが、人形やペットのように育てられたことが

とても辛かったのだと思います。

家族構成と毒親の影響の関係

同じ親の元で育っても、

毒親の影響を受けやすさには違いがあります。

①一人っ子

第三者の関わりが少ないほど、家庭が閉鎖的になるので、

一人っ子は逃げ道がないことから、

影響を受けやすい可能性が上がります。

兄弟がいませんから、

一人で、親の歪んだ愛情の形を受け続けることになります。

②歳の近い兄弟がいる場合

歳の近い兄弟がいると、

連帯意識を持つことがあります。

それにより、二人で協力して

逃げ出す道を探すことができる場合もあります。

③歳の離れた兄弟がいる場合

上の子が下の子の親代わりとなり、そのため、

上の子に精神的な負担がかかってしまうことがあります。

私の場合はこれに当てはまります。

6歳離れた弟がいます。

弟の話し相手は私でした。

いつも需要的に学校であったことなど

話を聞いていたように思います。

高校生の時に、弟は小学生でしたから。

優しい声かけも、親はできませんでしたが、

その分私がかけていました。

私が、20歳になって、寮に飛び出した時に、彼は中学生。

突然裏切られたような思いを抱えたようです。

彼の認識は、すでに30歳を超えますが、

家族の問題が全て私のせいだと認識にすり替わっているようです。

裏切った姉が悪いという印象が強いために起こる現象でしょう。

そのため、20年近く、うまく会話することができない状況が続いています。

毒親育ちでも影響が少ない人がいる理由

親以外の信頼できる大人との出会いが、子どもの心を救う場合があります。

親戚、

習い事の先生

近所のスケートボード広場

図書館の職員

地区センターの職員

「あなたは悪くない。親がおかしい。」

そう言ってくれる人がいれば、心は軽くなります。

たった一人でいい。

自分を理解してくれる人がいる。

それが生きる希望となります。

「誰も自分を理解してくれない。」という思いが、

生きる気力を奪っていきます。

誰にも分かってもらえない自分なんて、

生きている価値があるのか、

生きていく意味があるのか、

自分の命に価値がないと感じる方向へ、

思考が向いていくようになります。

私の場合、

学校の教師に対しても、怒りを向けるようになりました。

お母さんがおかしいのに、

なぜ気づかないのか。

どうして、誰も分かってくれないのか。

または、

教師が無理解な場合も、

なぜ、母は教師の見方をするのか。

理解してくれないのか。

そういった気持ちになったこともあります。

私の母は、PTAをとても熱心にしていました。

9年間も。さらに高校にまで、ボランティアなどで

出入りしていました。

母は、学校の教師の中でも有名な人物でした。

私の母を悪くいう人はいないでしょう。

とても熱心なので。

家庭でも、学校でも

母の支配から逃れられない、がんじがらめの状況が続きました。

「大人は信じられない」

「誰も分かってくれない」

この呪いのような思いが、自分を幸せにする方法とは

真逆の方向に、自分を進めることとなります。

私の本当の気持ちを受け止め、

理解していくれる人が一人でもいれば違ったでしょう。

「いい子にならなくてもいい。」

その一言だけでも、誰かにかけてほしかったと思います。

何気ない大人の言葉が、

対等に子供を一人の人間として認め、

話に耳を傾けてくれる大人の存在が、

子どもの命を救うことになるという事実に

たくさんの人が気がついて欲しいと思っています。

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