使命と目的の違い
人生の使命と目的。意味の違いをしっかり考えたことがありませんでした。
みなさんはありますか?
私はこれから、【使命】ではなく【目的】という言葉を使おうと思っています。
理由はエネルギーの違い。
【使命】という言葉で認知した時、『しなければならない』または『私は特別な存在だ』という意識がそこに混ざっていたように思います。
【目的】という言葉で認知すると、『私なりの人生の目的地がある』『ただそれだけ』という意識になりました。
それぞれが、それぞれの人生を、この場所で、この体で、この時代を楽しむために生まれてきた。
ただそれだけ。
何か素晴らしいことを、成し遂げなければいけない。
魂の修行。
となると、このままの私ではいけない気がしませんか?
私は、自分ではない何かになろうとしていました。
何かに責任を果たしたり、人の役に立たなければいけないという考えを持ったりしていました。
あるがままの私を見る時、私はもっとこの人生を気楽に楽しみたいと思っています。
何かの称号をもらうことは不自由になることでもあります。
娘はこう言いました。
「将来何になりたい?」という問いに
「このままがいい」と。
『わたしはわたしのままがいい』
ただそれだけなんです。
そして、楽しく過ごしたい。
世界がどうあっても自分がどうありたいか
世間では、世界を統一したいというような動きがあるように思えてなりません。
日本らしさ、日本人。文化、歴史。
それが壊れていきそうでわたしはとても怖さを感じていました。
嫌悪感もあったかもしれません。
大きな勢力が、世界を統一したいという意識でいたとしても、「あなたたちはそうなんだね。私は違うけど。」
それでよいと感じるようになりました。
日本の良さは私の中にあります。
そして、日本は日本人だけのものという捉え方がもうすでに、古いものにしがみついている考えなのかもしれません。
いつでも、どこでも、
誰がどうしたいかではなく、自分がどうありたいか。
結果的に、誰かに貢献することになるかもしれません。
意図せずとも、無意識の世界で私たちはつながっていて、干渉しあうようになります。
私から発することで、誰かが良くも悪くも影響を受けます。
それが、良い方に作用するか、悪い方に作用するかはわかりません。
しかも、良いも悪いもないのです。
ただのエネルギーでしかない。
受け取った人が、どのように昇華させるかはその人の領域に委ねます。
あるがままを見る
わたしは、わたしであることを楽しむために生まれてきました。
一つの体に入り、
人との関わりを言葉や文章、会話で共有するってどんな感じかな?やってみたいなと思って生まれてきたように思います。
だから、なかなか言葉で伝わらないもどかしさをたくさん経験しました。
コミュニケーションスキルを学んでも、分かり合えないこともありました。
言葉よりも、そこに乗っているエネルギーがいかに大切なのかも感じることができました。
私が子どもたちといるのが好きなのは、言葉がなくても、ただいるだけで伝わる要素が多いからかもしれません。
話せなくても良いんです。
話さなくても分かり合える不思議があります。
それは、生まれる前に自然にしていたことと同じだからかもしれません。
今思えば、発語がないお子さんと過ごした日々が最高に楽しかった。
または、言葉と反対のことを言ってしまう子どもたちといるのも、心地よかった。
一生懸命、そういう子は、エネルギーでわかってほしい、愛して欲しいと伝えてくれます。
わたしの人生の目的
わかりあうのに不自由なこの地球で、言葉、文章、教具、占い、コミュニケーションスキル、そして、エネルギーを使って、人と関わり合うこと。
人との関わりは、幼少期の1番の傷でした。
それが、一番やりたかったことなんです。
特に、素晴らしいマスターとか、先生とか、教授とか、そういう称号はないけれど、やりたかったことをやり尽くして、あーたのしかった!と思って、体を脱ぎたいなと思います。
そして、何よりしたいのは、何があっても怖くないと安心できる世界なんだと、娘に伝えてから、いなくなりたいということ。
もうすでに、娘に聞くと、
そんなこと知ってるよ。というかもしれませんが。
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