情熱を注ぐ場は私が決める

情熱を注ぐ、努力する、時間をかける、注目する、エネルギーをそそぐ、がんばる!などなど、いろいろな表現がありますが、それは全てオーラソーマでいうところの赤の言語に関します。


食べる、愛する、拒絶する(嫌いになる)、お金、生きるなどなど生命に直結することが赤のテーマ。

赤を止めるのは命を止めること。

血液の循環を止めることになります。

今朝ふと思いました。

夢に出てきたんです。

外傷があって、血が流れた時は、止血する。

一旦流れすぎた血は、止める必要があります。

私はあるものに、ものすごい勢いで情熱を注いでいました。

それはどうしてかというと、その手法が、人々の光になる方法だと感じていたからです。

もちろん自分のためでもありました。

大人との関わりが怖くて、自分を否定して、怖がって閉じこもっていた私に、元気と勇気をくれたものだったから。

人との関わり方がわかって、たくさんの友達ができたんです。

仲間と共に生きることが、こんなに豊かなことだと私は知りませんでした。

安心して、人と関われることがこんなに幸せなんだと知ったのは、その手法を使ったときでした。

もっと学びたいと思ったし、それを伝える人になりたいと思いました。

けれど、学びを進めるにつれて、そこの組織や仕組み、制度がどうしても自分に合わないとわかりました。

学びの内容は、大好きです。

それを取り扱う仕組みと組織がどうしてもあいませんでした。

それは私の価値観です。

組織に所属すること、従うことが、今の私の魂はどうしても受け付けられません。

自由に表現することが、今の私には大事です。

誰かのために時間を使いたくないという気持ちもあります。

それはおそらく、私が母のために時間とエネルギーを使うことが多かったから、もうこれ以上母に変わる何かにエネルギーを注ぎたくないということに関連しています。

組織のためという名目のボランティアがどうしてもできません。

私は私のために情熱を注ぎたい。

そしてそれが、巡り巡って人のためになったらいいと思います。

もう人の意思に合わせて、こっちに血を流しなさいと決められるものに、血を流したくない。

血の流し方も、こういう色でこういう形で、このくらいの量で流しなさいと言われるのが嫌でたまらない。

それが始まったと感じた時、烈火の如く怒り、ここから離れる!と決断しました。

大人のための支援をするなら、子どもを支援したい。

かつての仕事、特別支援教育で力を注ぎたいです。

大人の支援では私の魂は喜びません。

詳しくいうと、本気で改善したいと思っているのであれば大人とでも向き合えます。

私は自分と向き合える人が好きです。

それを感じると力が湧き、生き生きします。

わたしがあの手法が好きだったのは、必死で自分と向き合える人と出会えたからかもしれません。

そうなると、自分と向き合える人が集う場を作れるのであれば手法はなんでも良いのかもしれません。

私が生まれてから、ずっと続けてきたことは、自分と向き合うということでした。

自分と向き合い、魂を生き生きさせたいという願いに命を捧げてきました。

誰かの欠乏した何かを満足させるために、自分のエネルギーは注ぎたくない。

自分で自分の人生を立て直そうとしている人には、推し活ができます。

どんなに、つたなくても、不器用でも、自分で自分の人生をなんとかしようももがいている人のことなら、そばに居続けることができます。

いつか、子どもたちのところへ戻ると思います。でもそれは道楽の一つです。

私の趣味。

子どものそばにいるのは幸せなことです。

私はこれでもかというほどガチンコなので、まだまだ自分の可能性をあきらめておらず、命を注げるものを探しています。

オーラソーマ、好きだな。

という気持ちがむくむくと湧いてきています。

オーラソーマ社の改訂が、私にとっては追い風になる可能性もあります。

同時にえ?ほんとに本気?と自分にツッコミも入れています。

ここからオーラソーマにもエネルギーを注ぐのはまた大変なことです。

私のエネルギーは、そろそろ循環するでしょうか。

占い師をしようと面接を申し込みましたが、うまくいきませんでした。面接日に声が出なくなっています。

とりあえずお金を得ようとすると、どうしてもうまくいかない。

うまくいかないように、私の潜在意識が動いているように思います。

こんどこそ!とおもっていましたが、うまくいかず、さらに今度こそ!と思って、もう少し休憩してから動き出そうかと思っているところです。

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